交流がなければ不安もない


昨日、今日の氣づきより。

ときおり、不安が大きくなるときがある。

不安の大きい自分を眺めていたら、ずいぶん小さい世界(ドラマ)の中で不安に包まれている自分が居た。

ドラマの外から見ると、何やってるんだろう?、ずいぶんと不安なようだけど。

という感じ。

そして、不安な自分は自分が見えていないことが見えて、自分が見えてないから自分を信じれなくて不安になってた。

自分は自分でしか居られないから、どんだけ頑張っても自分以外にはなれないから(今までの頑張り続けた人生から氣づいた)、自分が見えていれば不安も何も、という感じになる。

そのことに氣づいたら、不安のドラマから出て自分で居る感じになって落ち着いた。

妙に頑張ってる時って、私の場合、自分以外になろうとしているときなので、そういう意味で、頑張る必要ないなぁ、としみじみ感じる。

そして、一人では生きていなくて、人と共に生きていて、喜びを感じたり不安を感じたりできることがありがたい、

と、

思った。

人との交流の中で様々な感覚を感じるんだけど、喜びも不安も、その交流があってこそ。

交流がなければ不安もない。

人と共に生きていられていることに、感謝。

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