先日、本当は掃除をしなくていいんだよ、という話をしました。 (その話はこちら。) 地球の循環の中に入っていたら掃除はしなくていいんだけど、今は入りきっていないから、掃除はとっても大切。 循環の中で誰かがやってくれていることを自分でやっていく、ということ。 自分でやってこそ、循環が保たれる。 自分がやらないと、循環が止まっちゃう。 夜、ごはんを食べて。 ごはんを食べると、鍋やフライパンやもろもろ食器の洗い物が出る。 これは、ごはんを食べるたびに、必ず、出る。 人間以外の生き物たちは洗い物はやらなくてもいいんだけど、人間は毎回洗い物をしないと、次のごはんが作れないし食べれない。 めんどくさいんだけど。 洗い物をして、鍋もフライパンも食器も洗って、次使える状態にして、ごはんの流れがひと段落。 次のごはんへ流れがつながる。 ここ、大切。 食べるのと同じくらい、大切。 だって、循環が止まっちゃうんだもの。 洗濯も大切。 1日過ごすと、その日に使った衣類に汚れがつく。 汚れがつかない、ということはないから、必ず洗わないと次使えない。 これまた、地球の他の生き物たちは洗濯しなくてもいいんだけど(する生き物もいそうだけど)、人間は自分で汚れを落とさないと、次につながらない。 洗濯をして、そして、その衣類を使うことがひと段落。 次の流れにつながる。 その他にも、そういうことたくさんあると思う。 人間は、自分で循環を維持しないと循環が止まっちゃう。 止めることも止めないことも、選択できる。 そこが、人間のすごいところなのかもしれない。 心地よく生きることも、心地よくなく生きることも自分で選択できる。 それって、すごい。 自由。 人間の選択の幅はピカいち。 だからこそ、自分の今にちゃんと気づいておくことって大切だなぁ。 自由だからこそ、ちゃんと自分を知っておかないと。 自分でなくなることを選択することもできちゃうから。 このことに気づいてから、洗い物が前ほど苦でなくなった。 洗濯も。 ダンゴムシが洗い物してくれるわけでは、ないもんね。
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